速報9)歴史地震とプレート沈み込み

三陸リアス式海岸

小学校や中学校では「三陸海岸はリアス式海岸である」と習う.一方,福島県の海岸沿いは浜通と呼ばれている.常磐線に沿って海岸段丘に覆われた平野が続き,阿武隈山地との境界は正断層型の褶曲で画され,北は仙台を通り北上低地帯に伸びている.この橈曲の東側を海成堆積物が覆ったのが新第三紀の竜の口海進である(図1:速報6).第四紀に入って大異変が起こり現在の大地形が形成された.隆起して形成された海岸平野に福島原子力発電所が位置している.

現在は浜通りの南端のいわきで正断層型地震が多発しており,この後に宮城県北部地震が心配される.

今回の東日本巨大地震によって三陸海岸が沈降し,津波被害からの復旧を拒んでいるが,リアス式海岸との関係についての指摘はない.海岸が沈降すると河川谷が海底に沈降して溺れ谷ができる.日本第四紀地図(第四紀学会,1987;東京大学出版会)には,宮古から牡鹿半島沖にわたって溺れ谷が図示されている.約1万8千年前の最終氷期の海岸線に対応する陸棚外縁は水深160-180mである.福島県浜通沖にも溺れ谷が図示されているが,その陸棚外縁は水深130-160mと浅い.

三陸海岸の沈降について多くの専門家が安易に口にしないのは三陸海岸にも海岸段丘が在るからである.日本列島に広く海岸段丘が形成された約12万年前の最終間氷期の下末吉海岸段丘が三陸海岸にもある.ただし,その高度は25-35mと福島県浜通の30-50mよりも低い.海岸段丘高度は,形成時の海水準と形成以降の地殻変動によって支配されているので,三陸海岸は福島県浜通よりも沈降していると言える.三陸海岸の位置は,北上山地の隆起と日本海溝の沈降の均衡によって支配されている.今回の東日本巨大地震による日本海溝側への沈降によって海岸部は沈下したが,北上山地の隆起によって回復するものと予想される.国土地理院資料によると牡鹿半島は既に隆起を開始している.

歴史地震とプレート沈み込み

地震は,地下の岩石に破壊限界強度以上の応力が加わり破壊する断層運動に伴って発生する振動である.従って,地震の発生を予報するためには,地下を構成する岩石の破壊限界強度と応力状態を知らなければならない.これまでに起こった断層運動と褶曲運動の集積が地質構造であり,地質構造の発達過程がテクトニクスである.歴史地震記録および明治以来の地震観測記録は現在進行中のテクトニクスの状況を知らせてくれる.

図9.地震地域.日本列島周辺のプレート区分(NA:北米プレート・AM:アムールプレート・SC:南シナプレート・PH:フィリピン海プレート)と表2の地震地域の位置

プレート運動は地下の岩石を破壊する応力を支配している.日本列島は北米NA・アムールAM・南シナSC・フィリピン海プレートPHによって構成され,太平洋PC・アムールAM・フィリピン海プレートPHに衝突あるいは沈み込まれている(図9).プレートの衝突および沈み込み境界で地震が多発することが日本列島に地震が多発する理由である.

地震がプレート沈み込みに対応して起きているかどうかは,プレート収束面積と地震面積を比較することによって検討可能である(表1).プレート相対運動は,プレート境界においてプレートが重なり合うプレート収束面積S(km2)によって定量的に算出可能である.プレート収束面積は,相対運動のオイラー極から算出されるプレート境界端のオイラー緯度eφと回転角αから

S = 0.7074 α( sineφ2– sineφ1)

によって算出できる.地震のマグニチュードMと断層面積Sf(km2)の関係は

Sf = 101.2M-9.9

によって算出でき(新妻ほか,2005),M9.0であれば7.94km2であり,マグニチュードが1減れば15.85分の1になり,M8.0では0.501km2である.

表1. プレート相対運動のオイラー極・回転角α(°/百万年)とプレート収束面積Sおよび地震断層面積Sf

プレート境界 オイラー極
北緯
オイラー極
東経
α S/年 Sf
NA-PC 48.7 -78.2 0.79 0.143 15.76
千島海溝 0.072 5.51
日本海溝 0.071 10.25
PH-PC 1.2 134.2 -1.00 0.115 0.84
AM-PH 51.4 162.4 1.08 0.042 21.53
SC-PH -68.8 82.9 -1.28 0.117 1.20
AM-NA 77.4 -173.2 0.23 0.021 1.88
日本海東縁 0.017 1.49
フォッサマグナ 0.004 0.39

今回のM9.0の東日本巨大地震は千島海溝から日本海溝への太平洋プレート収束面積の32.5年分に当たり,日本海溝のみへの111.2年分に当たる.

地震面積変遷を検討するために,総数1025の歴史地震(宇佐美,2003)について,1600年から2000年まで50年間隔の平均と標準偏差を算出した(表2).平均は千島海溝(ch:1.10km2)・日本海溝(jt:1.07km2)が1km2を越えて大きく,南海トラフ(nk:0.98km2)・琉球海溝(ry:0.24km2)が続き,伊豆海溝(iz:0.20km2)・日向灘(hy:0.18km2)・日本海東縁(ak:0.17km2)・関東(kw:0.17km2)とプレート境界域が並び,中央日本(cj:0.19km2)が内陸地震として在る.太平洋プレート境界である伊豆海溝izが少ないのは,地震が起きても被害記録が少ないからである.プレート収束面積(表1)がjt日本海溝0.071km2/年とnk南海トラフ0.042km2/年と異なるのに地震面積が同格であることは,地震の起こし易さに相違があるからであろう.
標準偏差の平均に対する比率は0.76~2.00と大きく,変動が大きい.比率が小さいのは,日向灘から瀬戸内海hyにかけてと宮城県北部型mgそして日本海溝jtである.

激しく増減する地震面積を50年間隔で地域毎に検討する.M9.0の東日本巨大地震の地震面積は7.943km2であり,最大地震面積期の1850-1900年の7.815km2以上である.

表2. 1600年から2000年までの50年間毎の地域別地震面積の変遷
と全歴史地震の地震面積と平均および標準偏差.
左端は地域の略称(図9),右端は代表地震名.
最大地震面積期の年代区間の新しい順に地域を並べて示す.

地震面積(km2 最大 2番目 3番目 最小
地域 17世紀 18世紀 19世紀 20世紀 平均 標準偏差 代表地震
前半 後半 前半 後半 前半 後半 前半 後半
ch 0.032 0.158 0.837 0.911 3.544 1.096 1.424 十勝沖
iz 0.001 0.018 0.105 0.686 0.203 0.326 伊豆
ak 0.008 0.032 0.057 0.123 0.211 0.032 0.201 0.667 0.166 0.217 新潟
ry 0.095 0.000 0.034 0.996 0.071 0.239 0.425 喜界島
mg 0.051 0.238 0.144 0.024 0.043 0.193 0.255 0.030 0.122 0.097 八戸
ky 0.004 0.000 0.018 0.006 0.006 0.034 0.248 0.020 0.021 0.027 桜島
is 0.000 0.002 0.000 0.000 0.000 0.002 0.018 0.001 0.003 0.006 三河
sf 0.040 0.000 0.000 0.032 0.014 0.031 0.102 0.006 0.028 0.034 丹沢
tk 0.027 0.000 0.001 0.005 0.001 0.088 0.040 0.015 0.220 0.030 江戸
cj 0.016 0.169 0.101 0.006 0.095 0.630 0.260 0.200 0.185 0.200 濃尾
jt 0.692 0.635 0.006 1.996 0.000 2.422 1.737 1.101 1.074 0.906 三陸
nk 0.760 0.032 2.630 0.034 0.002 3.122 1.069 0.015 0.979 1.261 南海
wj 0.000 0.008 0.044 0.008 0.001 0.053 0.010 0.013 0.017 0.020 浜田
rk 0.024 0.000 0.000 0.063 0.002 0.057 0.049 0.006 0.025 0.027 陸羽
nf 0.004 0.032 0.012 0.111 0.103 0.016 0.026 0.010 0.039 0.043 善光寺
kw 0.032 0.008 0.871 0.002 0.012 0.009 0.446 0.012 0.174 0.320 関東
hy 0.032 0.350 0.027 0.259 0.002 0.237 0.247 0.304 0.182 0.139 日向灘
合計 1.690 1.506 3.911 2.796 0.651 7.815 6.720 6.701 3.974 2.764

50年間の総地震面積の最大7.815km2は最小0.651km2の10倍以上と大きく変動しており,しかも最小期の次に最大期が続く.日本海溝jtおよび南海トラフnkの変動は総面積変動の主体を担っており,西日本wj・中央日本cj・東京tkも同調している.南部フォッサsf・琉球海溝ry・伊勢is・九州ky・宮城mgの変動は遅れ,日本海東縁nfの変動は先行しているように見える.

表3. 1600年以前の総地震面積

期間(年) 総地震面積(km2
416〜850 2.081
850〜900 3.381
900〜1600 10.044

変動の少ない日本海溝においても869年貞観地震から1611年慶長地震まで地震が記録されていない.900年から1600年までの700年間の総面積10.044km2が,1600年以後の50年間平均総面積3.974km2の2.5倍(すなわち6分の1)であり,大きいのは南海トラフnkの8.1倍(これでも1600年以後の58%)・中央日本cjの2.2倍・陸羽型rkの1.8倍・関東kwの1.6倍・九州kyの1.5倍のみであり,日本列島全体として地震活動の少ない期間であったと言える.この間にマグニチュードMを特定できる日本海溝の地震記録は無いが,1408年紀伊・伊勢の地震M7~8の後に1420年常陸の地震が記録されており,それに続いて1423年羽後M6~7・1432年鎌倉・1433年会津そして1498年東海道M8.2~8.4の記録がある.

貞観地震を含む850年から900年の50年間の総地震面積は3.381km2で,1600年以後の総平均3.974km2の8割以上と大きく,不完全な地震記録を考慮すると極めて地震活動の激しい時期であったと言える.日本海溝で1.1倍・南海トラフで2.0倍・西日本で1.9倍と大きな地震面積になっており,総地震面積が1600年以後の平均総地震面積の2.3倍あったとすると,1600年以後の最大期に匹敵する.

416年から始まる850年以前の総地震面積記録2.081km2は1600年以後の平均総地震面積3.974km2の半分であるが,南海トラフnkでほぼ同じ,中央日本wjで3.2倍・伊勢湾isで10倍と大きな地域もあり,不完全な地震記録を考慮すると1600年以後と同様に地震活動が盛んであったと言えよう.

歴史地震の相互関係と日本海東縁沈み込み

プレート境界から離れた内陸部では直下型地震が起こり,大きな被害を及ぼす.内陸地震は活断層との対応がなされ,その活動史の解明のためトレンチ調査が国策として進められている.活断層は地質構造と調和的であり,地質構造を形成するテクトニクスの過程と捉えることができる.

テクトニクスに影響を与える大きな断層に伴って大地震が起こるので,プレート境界で起こった0.1km2(M7.5)以上の大きな歴史地震の発生関係を年代順に発生に区分して示す.

表4. 2003年までの大きな歴史地震の発生順番表.

赤> 1km2 >橙> 0.5km2 >黄> 0.2km2 >緑> 0.1km2 >薄緑
日本海東縁
ak rk
千島 日本海溝
ch  jt
関東
kw
南海
nk ry hy
宮城 中央日本他
mg cj ky iz
679 筑紫
684土佐南海東海
715 遠江
745 美濃
818 関東諸国
830 出羽
869 三陸沿岸 878 関東諸国
887 五畿七道
1096畿内東海道
1099南海道畿内
1185近江山城大和
1257 関東南部
1360 紀伊摂津
1361畿内土佐阿波
1408 紀伊伊勢
1498 日向灘
1498 東海道
1520 紀伊京都
1586畿内東海道
1596 畿内
1605 東海南海
1611 三陸沿岸 1662 山城
1662 日向
1677 陸中
1677磐城常陸安房 1678 花巻
1686 安芸伊予
1703 元禄関東 1707 宝永 1717 仙台
1751 越後
1763 陸奥八戸 1769 日向
1793陸前陸中磐城
1833羽前羽後越後
1843 釧路根室
1847 善光寺
1854 東海
1854 南海
1854 伊予
1856 十勝沖
1891 濃尾
1893 千島南部
1894根室南西沖
1896 三陸沖
1897 仙台沖
1897 仙台沖
1901奄美大島近海
1906 三重県沖
1909 房総沖 1909 宮崎
1909宮崎県西部
1911 喜界島近海
1915石垣島北方
1915 三陸沖
1918ウルップ島沖
1923 大正関東
1931青森南東沖
1933 三陸沖
1936 金華山沖
1938 福島沖
1940 神威岬
1944 東南海
1946 南海
1952 十勝沖
1953 房総沖
1958 択捉島沖
1963 択捉島沖
1964 新潟
1968 日向灘
1968 十勝沖
1969北海道東方沖
1973根室半島南東沖
1978 宮城県沖
1983日本海中部
1984 鳥島近海
1993 釧路沖
1993北海道南西沖
1994三陸はるか沖 1995 阪神
2003 十勝沖

日本の歴史の中でも地震活動のさかんであった850年から900年において注目されるのは, 869年貞観三陸地震であるが,中島(2011)を宇佐美(2003)により新暦月日とMを補足すると,

863年7月10日 越中・越後大地震(M7以上)
864年 富士山噴火・阿蘇山噴火
867年 別府の鶴見岳噴火・阿蘇山噴火
868年8月3日 播磨大地震(M7.0以上)
869年7月13日 三陸沖貞観地震(M8.3)
870年1月23日 肥後で台風と地震
871年 鳥海山噴火
874年 開聞岳噴火
878年11月1日 関東大地震(M7.4)
880年11月23日 出雲大地震(M7.0)
881年1月13日 京都地震(M6.4)
887年8月2日 越後津波地震,溺死者数千
887年8月26日 南海地震(M8.0-8.5)

とある.注目すべきは貞観三陸地震の前に日本海東縁の出羽で,830年M7.0~7.5と850年M7.0,越中・越後で863年M7.0地震が起きていることである(表4).1600年以後最大の活動期であった1850年から1900年の間に起こった1896年明治三陸地震の前の1894年に,庄内地方でM7.0が起こっている(速報5).1677年延宝三陸地震の際には,6か月前と2年後に津軽で地震があった(速報6).1763年宝暦三陸地震では3年後に津軽で地震があり,1793年寛政三陸地震では9日前に西津軽でM7.1があったが,これらは日本海東縁沈み込みによる地震である.

1600年以後の50年間隔の地震活動から,日本海東縁の地震活動が日本海溝や南海トラフの地震活動に先行していることが分かった.今回の東日本巨大地震と,1964年新潟地震M7.5・1983年日本海中部地震M7.7・1993年北海道南西沖地震M7.8との関係に注目したい.

引用文献

第四紀学会編(1987)日本第四紀地図.東京大学出版会,東京,119p, 4Maps.
中島林彦(2011)国史が語る千年前の大地動乱.日経サイエンス,41(6),36-39.
新妻信明・藤間俊・伊藤広和・吉本拓二(2005)地殻活動観測所における光波測距による中部日本の歪と2004年新潟中越地震の関係.静岡大学地球科学研究報告32, 11-24.
宇佐美龍夫(2003) 最新版日本被害地震総覧.東京大学出版会,東京,605p.