特報5)総地震断層面積のベニオフ図
2015年7月23日 発行
1.ベニオフ図
間欠的に起こる地震を定量的に記述する方法として地震のマグニチュードMから算出される地震断層面積Sfを本速報では使用している(速報36).地震断層面積Sf(km2)は,地震のマグニチュードMと地震断層の長さLおよび断層のずれDについての経験式(松田,1975)を乗じて算出される.
S=L*D= 101.2M-9.9
この式は,マグニチュードMの地震16個(≒101.2)の総地震断層面積がマグニチュードM+1の地震1個の地震断層面積と等しいことを示している.同じマグニチュードの地震が等時間間隔に起これば,総地震断層面積は時間とともに増加する.横軸に総地震断層面積,縦軸に時間のグラフを描くと,右上に上る階段状のグラフが得られる.この階段状のグラフは,火山噴出物の累積量(Nakamura,1964)や活断層の累積変位量に用いられているが,Benioff(1954)が地震について最初に導入したので,「ベニオフ図」と呼ぶことにする.
活断層や地震の場合には,歪みが時間とともに蓄積し,破壊限界に達して断層の変位とともに地震が発生する様子を定量的に示すことができる.火山噴出物の場合には地下に蓄積するマグマが限界に達し,地上に噴出する様子を表す.歪やマグマの蓄積速度が一定であれば,階段全体の傾斜が等しくなり,蓄積に変化が起これば傾斜が変化する.破壊強度が大きいと破壊限界に達する時間間隔は長く,階段の幅が広くなり,大きな破壊が起こり断層面積も大きく階段の高さも高くなる.
作図に当たっては,解析時間範囲を図の解像度に応じて150等分し,その区分期間内に起こった地震の総地震断層面積を算出し,その総地震断層面積を時間とともに順次積算した点を結びベニオフ図とする
プレートの相対運動が歪蓄積の主要原因と考えられるので,プレート相対運動面積と総地震断層面積を比較する.日本列島に関係するプレート相対運動のオイラー回転は(新妻,2007),
オイラー極
プレート 北緯 東経 回転角 プレート境界
NA-PC 48.7 -78.2 0.79 千島海溝,日本海溝
PC-PH 1.2 134.2 1.00 伊豆海溝,小笠原海溝,Mariana海溝
NA-PH 44.4 160.5 0.88 相模トラフ
AM-PH 51.4 162.4 1.08 駿河トラフ,南海トラフ
PH-SC -50.3 -24.9 1.28 琉球海溝,台湾
ここで,NA北米プレート,PC太平洋プレート,PHフィリピン海プレート,AMアムールプレート,SC南華プレートである.
プレート境界1(北緯φ,東経λ)のオイラー極(北緯φE,東経λE)に対するオイラー緯度φ1は,
sin φ1 = sin φsinφE + cos φcos φE cos (λ- λE)
と算出できる.また、プレート境界におけるプレート相対運動速度V(㎜/年)は,オイラー緯度φ1の余弦にオイラー回転角速度r(度/百万年)を乗じて算出される.ここで,111は単位を合わせるための係数.
V = 111 r cosφ1
プレート境界のオイラー緯度範囲をφ1からφ2とすると,プレート相対運動面積Sp(km2/年)は,プレート相対運動速度Vをφ1からφ2まで積分し,
Sp = k r ∫φ1φ2cos φdφ= 0.7074 r [ sin φ]φ1φ2 = 0.7074 r (sin φ1 – sinφ2)
と算出できる.ここで k = 0.7074 は単位を合わせるための係数.
日本全域のプレート相対運動面積は,0.4643km2/年と算出され,毎年M8.0の地震1個あるいはM7.0の地震16個が起こるか,毎日M5.8の地震が日本列島のどこかで起こることに相当する.
日本全域のプレート相対運動面積は関係プレートとそのオイラー緯度範囲によって海溝域毎に算出でき,プレート運動が一定ならプレート相対運動面積Spは時間とともに増加する.横軸に解析期間のプレート相対運動面積と総地震断層面積,縦軸に時間を取るベニオフ図を作成すると,プレート相対運動面積は右上がりの斜線になる.
2.1994年9月から2015年6月のCMT解についてのベニオフ図
公開されている1994年9月からの日本全域のCMT解について作成したベニオフ図を示す(図156B).図左端の「Total」は日本全域の総地震断層面積を示したもので,右上がりの黒斜線は,プレート相対運動面積である.「Total」枠の下端の「50.8day」は,1994年9月から2015年6月までの解析時間範囲を150等分した区分期間の日数が50.8日であることを示している.
右側の4つの枠は,日本全域のプレート境界域を右から左に北から南そして東から西に向って並べたもので,右から「Chishima」千島海溝域,「Jpn」日本海溝域,「OgsIz」伊豆・小笠原・Mariana域(伊豆海溝域と略す),「RykNnk」南海・琉球・台湾域(琉球海溝域と略す)である.
これらのグラフ枠の幅は,プレート相対運動面積に比例しており,日本海溝域が最も狭く,琉球海溝域が最も広い.左端の日本全域「Total」には,右側の各海溝域の4枠に赤曲線で示した総地震断層面積を合計して4分の1にした値をピンク曲線で示してある.
各枠の上には,総地震断層面積Sfのプレート相対運動面積Spに対する比を示した.日本全域枠の右隣枠の下端に示した「M7.3」は,このマグニチュード以上であれば赤曲線が階段状に表現される限界マグニチュードである.日本全域についてのピンク曲線については横軸の面積幅を4分の1にしているので,限界マグニチュードは0.5増加しM7.8になる.
1994年9月から現在までの日本全域CMT解「Total」の比は1.96と,総地震断層面積がプレート相対運動面積のほぼ2倍であることを示している.この大きな比は2011年3月の東日本大震災本震M9.0に因っており,東日本大震災の日付横線上でピンク曲線が階段状に上がり,隣の琉球海溝域「RykNnk」の赤曲線に重なっている.階段の立ち上がりが,大震災日付横線よりも下から開始していることは,M9.0の本震前にM7.3以上の前震が多数起こっていたことを示している.この急激な上昇を除けば,プレート相対運動面積の黒斜線とほぼ並行し,日本全域の地震活動が東日本大震災を除いてプレート相対運動に対応していると言える.
千島海溝域「Chishima」の比は1.26と総地震断層面積がプレート運動面積を上回っている.これは,1994年10月4日M8.1,2006年11月15日M7.9・2007年1月13日M8.2,2012年8月14日M7.3・2013年5月24日M8.3・2013年10月1日M6.7の大きな段差に因っており,段差間は平らで殆ど地震が起こっていない.最後の2012年・2013年の後の2つの地震は,カムチャツカ半島西方沖で起こったもので,日本全域震央分布図範囲内にあるが,日本全域のCMT解に収録されておらず, 2009年以降公開されている「世界のCMT解」にのみ掲載されている.今後は,日本全域震央分布図範囲内にあるこれらの地震も,日本全域の地震とし,合わせて速報に掲載することにする.
日本海溝域「Jpn」の比は東日本大震災M9.0によって7.65とプレート運動の7倍以上になっており,赤曲線は図の範囲を越えて右に外れている.1994年12月28日三陸はるか沖M7.6と2003年9月26日十勝沖M8.0による段差が認められる.1994年と2003年との段差間では殆ど増大せず,黒斜線を横切っているが,以後はほぼ黒斜線に並行に増大し,東日本大震災に至っている.
伊豆海溝域「OgsIz」の比は1.44と大きく,枠を越えている.これは2015年5月30日の小笠原西方沖M8.1による異常な上昇による.これを除くと,他の海溝域に比較し最も良く黒斜線に並行している.
琉球海溝域「RykNnk」の面積比の比は0.48と最も小さく,プレート運動の半分しか地震が起こっていない.ただし,1994年から2002年までは,黒斜線に沿って上昇しており,2002年以降に異常な静穏化を開始して現在に至っていることを示している.
3.2000年1月から2011年3月10日までのCMT解のベニオフ図
ベニオフ図では東日本大震災本震M9.0によって右に大きく振り切れ,東日本大震災に到る経過を検討できないので,本震前日までのベニオフ図により検討する(図156A). 区分期間は27.2日で,限界マグニチュードはM7.0である.
日本全域の比は1.01で,プレート運動に対応する地震が起こっていたことを示しておいるが,千島海溝域1.06・日本海溝域1.70・伊豆海溝域1.53とプレート運動を上回る地震が起こっているのに対し,琉球海溝域では0.45とプレート運動の半分以下の地震しか起こっていない.
日本全域のピンク色ベニオフ曲線は黒斜線にほぼ沿っており,地震活動がプレート運動に対応していることを示しているが,この中にも段差が認められる.最も顕著な段差は千島海溝域の2006年末(2006年11月15日M7.9・2007年1月13日M8.2)である.次に顕著なのは日本海溝域の2003年(2003年5月26日M7.1・2003年9月26日十勝沖M8.0)の段差である.
伊豆海溝域では震災前に2010年11月30日M7.1・2010年12月22日M7.8が起こり,大震災を先導したと予想される.それを裏付けるように伊豆海溝域2007年9月28日M7.6の後に日本海溝域で2008年5月8日M7.0・2008年6月14日M7.2・2008年9月11日M7.1が起こっている.その後,千島海溝域でも,2009年1月16日M7.4が起こり,伊豆海溝域の地震の影響が北上しているようである.
このような北上は,伊豆海溝域2000年3月28日M7.9の後,日本海溝域の2003年の段差,そして千島海溝域の2006年の段差への伝搬にも認められる.
4.2012年1月から2015年6月までのCMT解のベニオフ図
日本海溝域では,2011年3月の東日本大震災に続く地震活動のため右に外れて検討できないので,2012年以後のベニオフ図を示す(図156C).区分期間は8.5日で,限界マグニチュードはM6.6である.
日本全域の地震断層面積比が1.68と枠を外れ,2013年と2015年に大きな段差がある.
千島海溝域の比は2.48で,2013年5月24日M8.3の大きな段差によって図右端外に出ている.2012年8月14日M7.3の段差によって黒斜線と一致しているが,その間の地震活動は殆どない.
日本海溝域の比は1.67とプレート運動面積を常に上回る地震活動が続いている.その中に2012年12月7日M7.3による段差があるが,その前後の赤曲線はほぼ黒斜線と並行している.
伊豆海溝域の比は3.33で,2015年5月30日M8.1の大きな段差によって枠を外れ,かろうじて図の範囲内に納まっている.2013年5月14日M7.3による段差によって地震断層面積がプレート運動面積を越えているが,その前後の地震活動は少なく,平である.
琉球海溝域の比は0.21とプレート運動の数分の1しか地震が起こっておらず,日本全域の2013年と2015年のピンク曲線の段差間で重なっており,日本全域の地震活動の4分の1しか地震が起こっていないことを示している.
日本全域で最大の段差が2013年にあるが,マリアナスラブが同心円状屈曲したまま下部マントル上面に到達していることを示した2013年5月14日M7.3深度619kmと,カムチャツカ半島西方の千島スラブ底2013年5月24日M8.3深度609kmによるが,マリアナスラブの方が10日先行していることから,マリアナスラブの活動が千島スラブの活動を誘動したのであろう.マリアナスラブ2013年5月14日M7.3の前には日本海溝軸2012年12月7日M7.3深度49km,そして千島スラブ底2012年8月14日M7.3深度654kmが起こっており,2012年8月千島スラブから日本海溝軸そしてマリアナスラブに地震活動が伝搬して10日後,千島スラブに戻って2013年5月24日M8.3が起き,2年後伊豆スラブの下部マントルへの崩落の2015年5月30日M8.1深度685kmに至っている.
5. 歴史地震のベニオフ図
日本の地震記録は,世界で最も詳細であり,近代地震学の発祥とともに歴史地震の研究も推進されている.
日本最初の公式歴史書である「日本書記」には,允恭5年(西暦416)の地震記述があり,天武7年(西暦679年)の地震からは詳細な被害状況が記載されている.これらの歴史記録に基づき震央とマグニチュードが推定されている(宇佐美,2003;速報9).
歴史地震に加え,Seno & Eguchi(1983)の西太平洋域の地震観測に基づく大地震記録(図157)を日本全域のCMT解に接続し,西暦500年から現在までのベニオフ図を作成した(図158A).区分期間は約10年の3687.7日,限界マグニチュードはM8.8である.
日本全域の総地震断層面積比が0.11と低いのは,広い離島域を含む千島・伊豆・琉球海溝域についての歴史記録が不十分なためであろう.
6. 1691年以降のベニオフ図
日本海溝域における東日本大震災本震M9.0によってCMT解のベニオフ図は右に振り切れていたが(図156A=図158D),解析期間を1691年以降にすればプレート運動面積と一致する(図158B).東日本大震災で解放された歪みをプレート運動によって蓄積させるには,1691年にまで遡る必要があることを意味している.地震記録の不完全を考慮すれば,その分の歪が既に解消されているので,1691年よりも遡らなければならない.
日本海溝域の歴史地震を含むM7.0以上の震央を検討すると,仙台湾から南東に続く空白域の北縁で東日本大震災の本震は起こっており(図159),この空白域に300年以上の歪みが蓄積していたのであろう.
日本海溝域では2011年東日本大震災M9.0に次いで1896年M8.5明治三陸地震と1793年M8.4寛政地震の段差がある.1896年以後に総地震断層面積の増加率が増大し,プレート運動面積とほぼ等しくなっている.この総地震断層面積の増加は,南海・琉球海溝域や伊豆・小笠原海溝域そして千島海溝域にも認められ,地震観測網の整備による観測記録の充実によるとも考えられる.
7. 1850年以降のベニオフ図
歴史記録が充実し,地震計による観測記録を含む1850年以降のベニオフ図を作成した(図158C).解析時間範囲が1850年から2015年の165年であり,区分期間は403.8日で,限界マグニチュードはM8.0である.
日本全域の面積比は0.65となっているが,1925年から1945年と1970年から1994年の期間は地震活動が少ない.
千島海溝域の面積比0.55は日本全域とほぼ同程度であるが,静穏期と活動期に分かれ,階段状をなしている.
日本海溝域の面積比は1.69で,赤曲線が黒斜線とほぼ並行し,地震活動がプレート運動に対応している.
伊豆海溝域の比は0.35と約3分の1であるが,1900年から1915年まではほぼプレート運動と同等の地震活動があったが,1915年から1994年までは静穏化している.
琉球海溝域の比0.45は日本全域を下回っているが,1854年12月23日M8.4安政東海地震・1854年12月24日M8.4安政南海地震の大きな段差後の静穏期,そして1891年10月28日M8.0濃尾地震,1910年4月12日M7.6八重山,1923年9月1日M8.2大正関東地震,1944年12月7日M8.2東南海地震・1946年12月20日M8.2南海地震によって面積比が半分以上の0.64に保たれていた.しかし,1950年から1975年の静穏期には面積比0.35に減少し,1975年から1994年には面積比0.06と殆ど地震が起こらなくなった.1995年1月17日M7.3阪神大震災から2002年までの比は0.81とプレート運動と同等の地震活動があったが,2010年3月以降は静穏期に入り,面積比0.25に低下している.
8. プレート沈み込みとベニオフ図
太平洋プレートは一連の海洋底であり,西太平洋縁の海溝域に沿って沈み込んでいる.各海溝域の沈み込みは隣接する海溝域の沈み込みと相互作用しているはずである.
東日本大震災前には,伊豆海溝域から日本海溝域を通って千島海溝域に地震活動が移行し(図156A),震災後には千島海溝域から日本海溝域を通って伊豆海溝域に太平洋スラブの地震活動が移行している(図156C).
日本全域のベニオフ図は,各海溝域のプレート運動と地震活動を定量的に表すことが可能であり,プレート沈み込みの力学を構築するための有効な手段になるであろう.
引用文献
Benioff, H.(1954)Orogenesis and deep crustal structure: additional evidence from seismology. Geological Society of America, Bulletin, 66,385-400.
松田時彦(1975)活断層から発生する地震の規模と周期について.地震第2輯,28,269-283.
Nakamura, K.(1964) Volcano-stratigraphic study of Oshima Volcano, Izu. Bulletin of Earthquake Research Institute, 42, 649-728.
新妻信明(2007)プレートテクトニクスーその新展開と日本列島,共立出版,292p.
Seno, T. & Eguchi, T. (1983) Seismotectonics of the western Pacific region. Geodynamics of the western Pacific-Indonesian region, Geodynamics Series, 11, American Geophysical Union, 5-40.
宇佐美龍夫(2003)最新版日本被害地震総覧.東京大学出版会,605p.