速報65)明治三陸地震の再来か・2015年3月の地震予報

1.2015年2月の地震活動

 気象庁が公開しているCMT解を解析した結果,2015年2月の地震個数と,プレート運動面積に対する総地震断層面積の比(速報36)は,日本全域で19個1.374月分,千島海溝域で0個,日本海溝域で16個6.876月分,伊豆・小笠原海溝域で0個,南海・琉球海溝域で3個0.247月分であった(2015年2月日本全図月別).
 全国の総地震断層面積比が1.374月分とプレート運動面積を上回ったのは,2014年7月1.225月分から7ヶ月ぶりである.昨年3月からの今月までの過去1年間の総地震断層面積比0.380年分であり,1997年の0.107年分・2014年の0.280年分・2001年の0.368年分に次いで少ない.
 ここに示した総地震断層面積比の値は,これまで報告してきた値より小さくなっている.2014年以後,台湾南方のバシー海峡域を算出域に含めたため,2014年以前についてはバシー海峡域を含まない値になっていた.今回からバシー海峡域を含めた再計算値を使用する.
 M6.0以上の地震は,2月14日の台湾沖1個と2月17日~21日の三陸沖3個があり( 日本全図月別2015年2月 ),日本全域の総地震断層面積比を1.248に引上げている.

2.2013年2月のM6.0以上の地震;

1) 台湾沖
 台湾の東縁にはフィリピン海プレートと南シナプレートとの衝突境界が位置し,海岸山脈を形成している.その東方42kmで2月14日5時6分M6.2が起こった(日本全図月別2015年2月).
 台湾小円区では,1996年・1999年・2003年・2009年・2010年・2012年・2013年・2015年にM6.0以上のCMT発震機構解が,計12個報告されている.今回の地震は2013年10月以来,1年3ヶ月ぶりの報告である.

2) 明治三陸地震の再来か
 2015年2月17日8時6分M6.9,2月20日13時25分M6.5,2月21日19時13分M6.4が,明治三陸地震(1896年6月12日M8.5)の震源域(「明治三陸震源域」と呼ぶ)で起こった.本震源域最大のCMT発震機構解は1994年12月28日三陸はるか沖M7.6であるが,今回の最初の地震M6.9はそれに次ぐものである.
最初の地震2月17日M6.9から最後の地震2月25日19時31分M5.0の間にM4.7~6.5のCMT発震機構解9個の地震が連発した.最初の地震を基準とした発震機構オイラー回転角(特報4)は-9.4~+18.6°と殆ど変化せず,深度もスラブ上面上4kmから上面下24kmとスラブ境界をまたぎ,沈み込みスラブ上面と島弧側地殻が固着して同一応力場にあることを示している.
 本震源域は,日本海溝軸が島弧側に凸に屈曲する襟裳小円南区の南部に位置しており,逆断層型地震が東日本大震災以後定常的に起こっている.逆断層型地震の頻発は,太平洋プレートが島弧側に凸に屈曲する日本海溝軸に沿って沈み込んで太平洋スラブになると,スラブが過剰になって島弧地殻と衝突することによって起きると説明できる.テーブルの角でテーブルクロスが過剰になって襞ができるのと同じ現象である(特報1).
 本震源域では,今回のような連発地震が,
2000年4月26日~5月2日5個M4.8~5.4
2006年6月16~17日3個M4.9~5.7
2011年3月12~16日10個M4.6~6.3
2011年3月19~24日11個M4.6~6.5
2011年4月14~21日7個M4.6~6.3
2011年9月17~24日7個M4.7~6.1
2012年5月19~24日12個M4.5~6.5(速報26
2013年4月2日7個M4.5~6.2
2015年2月17~25日9個M4.7~6.5
に起こっている.震災後は,ほぼ毎年起こっているが,今回の連発地震は,前回の2013年4月から22ヶ月も経過しており,M6.0以上の地震数も3個と最多である.

図147.明治三陸震源域の地震と歴史地震.  左図:震央地図.中図:小円断面図.右上図:縦断面図.右下図:時系列図.   歴史地震:869M8.3=貞観,1611M8.1=慶長三陸,1793M8.4=寛政三陸,1896M8.5=明治三陸,1933M8.1=昭和三陸,1952M8.2=十勝沖,1968M8.1=十勝沖,1994M7.6=三陸はるか沖,1995M7.2=はるか沖余震,2003M8.0=十勝沖,2011M9.0=東日本大震災本震,2011M7.4=東日本大震災第一当日余震.

図147.明治三陸震源域の地震と歴史地震.
 左図:震央地図.中図:小円断面図.右上図:縦断面図.右下図:時系列図.
歴史地震:869M8.3=貞観,1611M8.1=慶長三陸,1793M8.4=寛政三陸,1896M8.5=明治三陸,1933M8.1=昭和三陸,1952M8.2=十勝沖,1968M8.1=十勝沖,1994M7.6=三陸はるか沖,1995M7.2=はるか沖余震,2003M8.0=十勝沖,2011M9.0=東日本大震災本震,2011M7.4=東日本大震災第一当日余震.

 本震源域のCMT解個数は,東日本大震災以前に27個,以後に135個と震災から増加している. M6.0以上の地震についても,震災前5個,震災後13個と2.6倍多くなっている.総地震断層面積比は,震災前の0.127に対し,震災後が0.294と震災後に地震活動が活発化したことは明らかである(図147).この面積比の算出には,襟裳小円南区と最上小円区の幅が使用されている.本震源域の幅は,両小円区幅の3分の1程度なので,震源幅のプレート運動面積に対して,半分以下であった総地震断層面積比が,震災後に同程度まで増大したことになる.本震源域では,東日本大震災以後,プレート運動が今回のような連発地震によってほぼ解消され,歪を蓄積していないので,明治三陸地震のような大地震は起こらないであろう.
 本震源域の歴史地震は,
1896年6月12日M8.5:明治三陸地震
1960年3月21日M7.2とその最大余震1960年3月23日M6.7
1968年6月12日M7.2:1968年十勝沖地震5月16日M8.1の余震
1994年12月28日M7.6:三陸はるか沖地震
であり,1994年M7.6の後,東日本大震災までM6.5を越す地震がなかったが,東日本大震災本震翌日2011年3月12日13時52分M5.7から開始した地震活動で2011年3月22日M6.5を起こしている.
 1968年十勝沖地震が起こった襟裳岬南方沖震源域では2015年1月15日M4.4がスラブ上面下30kmで起こっている.今回のM6.9を基準にしたこの地震の発震機構オイラー回転角は-6.3と殆ど等しく,明治三陸震源域応力場が襟裳岬南方沖震源域まで連続していることを示している.襟裳岬南方沖震源域は地震空白域になっており,M8級の地震が起こることが心配される(速報61).
 今回の連発地震の最初で最大の2月17日8時6分34.6秒M6.9の震源は,海溝外と速報されたが(東日本IS月別),精査後のCMT解では上記のように海溝の内側と訂正された.10.5秒前にも起こった地震による誤認との新聞報道があった.この10.5秒前の地震についての発震機構解は公表されていない.今回の震源誤認は,日本列島側にしか設置されていな地震計では,海溝域で起こった地震の震源決定に不十分であることを示しており,海溝外への地震計設置と震源決定への早期使用開始が望まれる.

3.2015年3月の地震予報:

 全国の地震断層面積比がプレート運動以上の1.374になったことは,地震活動が活発化したことを示している.これまで続いた異常な静穏期は,東日本大震災によるプレート間歪の急激な解消が終息し,弱いプレート間相互作用による定常的なプレート相対運動が進行していたとも考えられるが,激しい地震活動前の静寂期間であるとも考えられる.
 2015年2月の明治三陸震源域における連発地震は,プレート境界をまたいで地震が起こっていることと,発震機構が共通していることから大地震の前震かと心配された.しかし,総地震断層面積比によって太平洋プレート沈み込みに伴う定常的な地震活動であることが判明した.東日本大震災で活発化した地震活動域は明治三陸震源域までであり,その北側の襟裳岬南方沖震源域では地震が殆ど起こっておらず,M8級の歪を蓄積していることも考えられるので警戒が必要である.
 琉球海溝域では,プレート運動の半分程度であった総地震断層面積比の東日本大震災による数分の1への低下(日本全図年別),琉球海溝から沈み込むスラブの最深地震記録の更新(速報63),台湾南方バシー海峡における南シナプレートのフィリピン海プレートへの沈み込み地震2014年2月3日M5.0・11月21日M5.5(日本全図年別2014年)などは,フィリピン海プレートの沈み込み・衝突状態の変動を示唆している.今回の台湾東方沖M6.2がフィリピン海プレート衝突状態の変動と関連していれば,南海トラフの巨大地震・伊豆弧の衝突とともに関東地方の地震活動に波及するので,今後の警戒が必要である.