速報5)東日本巨大地震と明治三陸地震津波

今回の東日本大震災同様に大きな被害をもたらした869年貞観地震(J)・1611年・1793年(E)の地震津波や1933年三陸地震津波(S)の震央は,日本海溝に沿って近接している(図5).

図5. 東日本巨大地震の前震・本震・余震の震源分布. 左の地図はアジア航測社提供の赤色立体地図に震央を記入したもの.2つの四角は国土地理院資料による地殻変動に対応するモデル断層面.東日本を横切る3本の線は,右断面図の地形断面線.右の断面図は半径375kmの同心円状に沈み込む太平洋プレートとモデル断層面を示したもの.震源位置は縦軸が深度.横軸は上断面が日本海溝からの距離,中断面が最上小円(図1)中心からの距離,下断面が太平洋小円(図1)中心からの距離.横軸の太黒線範囲が陸域.

図5:左地図の凡例 右断面図の凡例
赤X :今回の3月11日M9.0地震の震央 赤×・赤番号 :逆断層型余震
赤× :3月9日~11日に発生した地震 黒×・黒番号 :正断層型余震
× :3月12日~20日に発生した地震 緑×・緑番号 :中間型余震
+ :明治期の地震 (3月11日までの前震・本震・余震は赤×で表し,逆断層型は赤番号,正断層型は黒番号)
J :869年貞観地震
E :1611年・1677年4月・1677年11月・1793年の江戸時代の地震津波
M :1896年明治三陸地震津波
S :1933年三陸地震津波

1896年明治三陸地震津波(M)は,海水の干退が小さかったのが特徴とされている(宇佐美,2001). 今回の東日本巨大地震(X)も干退は大きくなかったようで類似している.

明治三陸地震津波の経過は,今回の東日本巨大地震および今後の対策を検討する上で,参考にすべき点が多い.

1891年10月28日 濃尾地震 M8.0
1893年6月4日 千島南部 M7 3/4
1893年6月13日 根室沖 M6.9
1894年3月22日 根室南西沖 M7.9
1894年6月20日 東京湾北部 M7.0
1894年10月22日 庄内地震 M7.0
1895年1月18日 霞ヶ浦付近 M7.2
1896年6月15日 明治三陸地震津波 M8 1/4(M)
1896年8月1日 陸羽地震 M7.2
1897年2月20日 仙台沖 M7.4
1897年8月5日 仙台沖 M7.7
1898年4月23日 宮城県沖 M7.2
1898年9月1日 八重山群島 M7
1899年3月7日 紀伊半島南東部 M7.0
1899年5月8日 根室沖 M6.9
1899年11月25日 日向灘 M7.1
1900年5月12日 宮城県北部 M7.0

これら明治時代に起きた地震(図5中の+印)の中で注目すべきは,M8 1/4の明治三陸地震津波(M)の8ヶ月後に起こった仙台沖M7.4とその半年後の仙台沖M7.7そして1898年の宮城県沖M7.2の地震である.仙台沖M7.7は2011年3月9日の前震の震源域である.    M8.0 を超える明治三陸地震津波が起こっても歪みが解消されず,その延長部でM7.7の地震を発生させたこと,1ヶ月半後の陸羽地震M7.2や4年後の宮城県北部M7.0の内陸直下型地震を伴っていることは,注目に値する.今後数年は同様の地震に充分注意する必要がある.