速報48)西之島噴火と沈み込みスラブ

1.西之島噴火

 2013年11月20日16時20分ごろ海上保安庁の航空機が,小笠原諸島の西之島南南東500mの海上に,直径200mの新たな島ができているのを確認した.中央付近にある火口から爆発的に黒い噴煙が噴き出して高さ約600mに達し,白い湯気はさらに高く上がっているとの報道がなされている.12月4日の国土地理院の航空機観測によると,島の南西寄りにある大きな火口とは別に,島の中央付近にも小さな火口があり,波浪浸食され難い溶岩流も確認されている.最も高い場所の標高は約27mに達し,面積は東京ドームに匹敵する約5万m2と見積もられている.西之島は,1973年9月11日~1974年の噴火によって東方に拡大したが,今回の噴火は40年ぶりにこの東側で起った.

2.太平洋スラブ裂け目と西之島噴火

 西之島は小笠原小円中心の東方に位置し,小笠原諸島の父島西北西に在る(図105).また同島は同心円状屈曲したまま上部マントル底まで沈み込む小笠原海溝スラブと,平面的に沈み込む伊豆海溝スラブとの境界に在る太平洋スラブの裂け目上に位置する(速報45).

図105.西之島周辺の赤色立体地図(アジア航測社提供).  小笠原海溝に小笠原海台が衝突し,その北西側の高まりに小笠原諸島が海面上に顔を出している.西側の南北方向の小笠原海盆に隔てられ西之島が位置する.西之島は伊豆七島から南に続く火山フロント上にあり,その北には1952年噴火の明神礁,1902年噴火の鳥島.南には1984年噴火の北硫黄島,1957年噴火の硫黄島がある.

図105.西之島周辺の赤色立体地図(アジア航測社提供).
 小笠原海溝に小笠原海台が衝突し,その北西側の高まりに小笠原諸島が海面上に顔を出している.西側の南北方向の小笠原海盆に隔てられ西之島が位置する.西之島は伊豆七島から南に続く火山フロント上にあり,その北には1952年噴火の明神礁,1902年噴火の鳥島.南には1984年噴火の北硫黄島,1957年噴火の硫黄島がある.

3.東日本大震災に対応する発震機構の変化

 東日本大震災前後で地震活動が最も顕著に変わった震源域として,西之島海域の小笠原小円区と小笠原海台小円区の境界部があげられる(図106).この境界部では小笠原海溝域の100km以浅と,西之島域の400km以深で地震が起こっており,地震活動が大震災前後で変わったのは400km以深の西之島震源域である.

図106.1994~2013年小笠原海溝域の引張主応力T軸方位分布.  震源は海溝から同心円状屈曲したまま上部マントル底の660kmまで達している.マントルのカンラン石(α)がスピネル型(β)に相転移する深度410km不連続面の下に,逆断層型地震と圧縮横ずれ断層(np)型地震が起っている.  右図は海溝側から見た断面図(右上)と時系列図(右下)で,横軸はMariana小円区・小笠原海台小円区・小笠原小円区の方位角である.時系列図で顕著なのは,海台・小笠原小円区境界の410km不連続面より下に2011年の東日本大震災前はスラブ屈曲に沿うT軸を持つ逆断層型地震(赤色),震災後は水平で海溝軸に沿うT軸を持つ圧縮横ずれ断層(np)型地震(黄緑色)が起っていることである.

図106.1994~2013年小笠原海溝域の引張主応力T軸方位分布.
 震源は海溝から同心円状屈曲したまま上部マントル底の660kmまで達している.マントルのカンラン石(α)がスピネル型(β)に相転移する深度410km不連続面の下に,逆断層型地震と圧縮横ずれ断層(np)型地震が起っている.
 右図は海溝側から見た断面図(右上)と時系列図(右下)で,横軸はMariana小円区・小笠原海台小円区・小笠原小円区の方位角である.時系列図で顕著なのは,海台・小笠原小円区境界の410km不連続面より下に2011年の東日本大震災前はスラブ屈曲に沿うT軸を持つ逆断層型地震(赤色),震災後は水平で海溝軸に沿うT軸を持つ圧縮横ずれ断層(np)型地震(黄緑色)が起っていることである.

 上部マントルの深度410kmには地震波速度不連続面が存在する.この不連続面は,マントル主要鉱物のカンラン石(α)がスピネル型(β)に相転移する温度圧力に対応している.この相転移反応の温度/圧力係数が正であるため,低温のスラブは,周囲の高温のマントルに比較して早く相転移して高密度になり,浮力を失い下方に続くスラブを圧縮する.このスラブ傾斜方向の圧縮主応力は,西之島域の地震活動と対応している.同域における震源は,同心円状屈曲スラブの上面から下面にわたって分布している.
 東日本大震災の前後で変ったのは発震機構である.大震災前に逆断層p型(赤色)であった発震機構が,大震災後に圧縮横ずれ断層np型(黄綠色)に変化した.この発震機構の変化は,スラブ面に直交していた引張主応力T軸が(図106左断面図で横棒;右図で点状),海溝軸に並行になったことによる(図106左断面図で点状;右図で横棒).すなわち震災前には,スラブ面に直交していた引張応力強度が海溝軸に並行する引張応力よりも大きかったので,中間主応力N軸が海溝軸に並行して逆断層型であったが,震災後には,海溝軸に沿う引張応力が増大してN軸がT軸に入れ替わったため,横ずれ断層型に変化したのである.
 日本海溝スラブは伊豆スラブを介して小笠原スラブに接続しているので,この発震機構の変化は大震災によって沈み込みを再開した日本海溝スラブの引張力が,小笠原スラブの応力場に影響を及したことを示している.
 ただし,発震機構型の変換を示す地震は,厳密には東日本大震災直前の2011年1月13日に既に起っており,大震災直前に日本海溝スラブ深部が変化を開始していたことを示唆している.

4.火山噴火と伊豆小円区の地震活動

 西之島噴火活動と地震活動の関連を調べるため,M6.5以上の伊豆海溝スラブ内地震を検討した(図107).東日本大震災から西之島噴火までに,2012年1月1日M7.0と2013年9月4日M6.8の2つの地震が410km不連続面付近で起っている.

図107.伊豆海溝・小笠原海溝域の1994年~2013年M6.5以上のスラブ内震源分布と時系列図.

図107.伊豆海溝・小笠原海溝域の1994年~2013年M6.5以上のスラブ内震源分布と時系列図.

 1994年以前については,1973年~1974年の西之島噴火前に,1972年2月29日M7.1・1972年12月4日M7.2が起っている(図108).また,観測船第5海洋丸遭難で31名の死者を出した1952年9月24日明神礁の噴火の後ではあるが,1953年11月26日房総沖地震M8.0が起っている.1984年3月~4月の北硫黄島北西方海底噴火に対しては,1984年3月6日M7.9が起っている.

図108.伊豆海溝・小笠原海溝域の1923年~1993年のスラブ内震源分布と時系列図.

図108.伊豆海溝・小笠原海溝域の1923年~1993年のスラブ内震源分布と時系列図.

5.西之島噴火と東日本大震災

 2011年3月11日の東日本大震災前の2010年12月から小笠原海溝域で大地震が起り(速報18),筆者は小笠原海溝スラブの挙動が伊豆海溝スラブを通じて日本海溝スラブに及び,東日本大震災が起ったのではないかと考えていた.
 今回の西之島噴火は日本海溝スラブ沈み込み再開による東日本大震災と関連していると考えられるが,前回の1973年~1974年西之島噴火に対応して日本海溝域でどのような地震活動があったのであろうか.噴火前の最も顕著な地震は,死者52人を出した1968年十勝沖地震M8.1(Seno & Eguchi,1983;理科年表などではM7.9とされている)である(図109).1968年十勝沖地震も太平洋プレートの沈み込み再開に対応していたとすれば,それ以後,1994年までの間に太平洋プレートの沈み込みが停止したことになる.

図109.日本海溝域の1923年~1993年M7.8以上の震源分布と時系列図.

図109.日本海溝域の1923年~1993年M7.8以上の震源分布と時系列図.

引用文献

Seno, T. & Eguchi, T.(1983) Seismotectonics of the Western Pacific region. in Geodynamics of the Western Pacific-Indonesian Region, Geodynamics Ser. 11, American Geophysical Union, 5-40.