速報14)2011年8月の地震予報
2011年8月14日 発行
太平洋プレートが日本海溝に沿って同心円状に沈み込むと,上部には引張力が働き正断層が発生する.その典型は本震40分後の地震(図20の11-4)であり,T軸方位が西北西(北から時計回りに290°)の太平洋プレート運動方向である(速報4).太平洋プレートの沈み込み状況は,日本海溝に沿って起るこの型の地震断層面積(速報9)を加算した累積地震断層面積によって知ることができる.3月11日の本震以来の累積地震断層面積は0.157km2で,その内に本震直後の余震の0.126km2も含まれ,80%を占める.その後,3月22日までに0.144km2の92%に達し,4月7日宮城県沖M7.1(図20の4/7)および4月11日浜通M7.0(図20の4/11)の大余震が起こった.6月14日のM6.0によって0.156km2の99%に達し,7月10日宮城県沖M7.3 が起こった(図20の10-1).
7月10日の地震は沈み込みプレートの過不足を移動によって調整する横ずれ断層型地震である(速報13).この沈み込みプレート移動調整地震は,東日本巨大地震の翌日3月12日にM5.9が起こった後,3月17日・4月1日・5月14・18・28日・6月23日そして7月10・11・13・19日に起こっている.この中で7月10日のM7.3は最大である.また,その震央は,1896年6月5日の明治三陸地震M8¼の14ヶ月後の1897年8月5日に起こった仙台沖地震M7.4(図20の+1897)と近接していることから,この仙台沖地震も沈み込みプレート調整地震と考えられる.この対応によれば,東日本巨大地震から余震までの期間は,明治三陸地震から仙台沖地震までの期間の3分の1以上短縮していることになる.また,東日本巨大地震1ヶ月後の4月7日に起こった余震M7.1(図20の4/7)に近接する震央を持つ明治仙台沖地震M7.4(図20の+1897)が1897年2月20日の明治三陸地震の8ヶ月半後に起こっており,こちらも余震までの期間が8分の1に短縮している.この短縮は,東日本巨大地震M9.0の地震断層面積7.943km2が 明治三陸地震M8¼の地震断層面積1.000km2の8倍であることと関係していよう.
この高速進行が継続すれば,再来が心配される明治三陸地震後23ヶ月の1898年4月23日に起こった明治宮城県沖M7.2 も年内に,明治三陸地震後47ヶ月の1900年5月12日に起こった明治宮城県北部地震M7.0(図20の+1900)も年内から来年早々に起こることも考えられる.明治宮城県北部地震では,死傷者17名・破損家屋1566を出したが,北は盛岡,南は平,西は新庄まで地鳴りが聞こえたと言われている(宇佐見,2003).
2011年7月の初動発震機構(図21)によると,浜通の地震活動は依然として継続しており,福島-山形県境や中越地方の他に,山形県村山地方・栃木県南部などが加わり,東北日本のテクトニクスに関係する地震が起こっている.東海地方や紀伊半島でも地震活動があり,広域に拡大することも予想される.明治の地震活動に比較して3-8倍の速度で進行すれば,関東地震や西南日本の地震などの早期到来も心配される.
*図20・21では従来通り「襟裳大円」域を用いる.