速報6)関東沖の太平洋プレート内異常応力集積

歴史地震との対応

今回の東日本巨大地震が発生した際に,これから北関東そして関東地震・東海地震が起こることが心配されると注意を呼び掛けた(速報1).これら一連の地震を想定したのは1677年(延宝5年)の地震と対応させたからである.宇佐美(2003)によると;

1677年4月13日,陸中M7 3/4~8.0の地震(図5左のE1677):八戸で被害があり,1時間後に津波が来て大槌・宮古・鍬が崎で被害.余震は3週間程続き,江戸でも有感であった.この地震は, 1968年十勝沖地震M7.9に似ている.

1677年11月4日磐城・常陸・安房・上総・下総M8.0の地震(図5左のE1677):磐城から房総にかけて津波が襲来,死者471・流家962.奥州岩沼領でも死者123・流家490あり.

1683年6月17・18日・10月20日,日光M6.0~6.5・M6.5~7.0・M7.0.
1686年1月4日,安芸・伊予M7.0~7.4.
1686年10月3日,遠江・三河M7.0.
1694年6月19日,能代M7.0.
1700年4月15日,壱岐・対馬M7.0.
1703年7月31日,元禄関東地震M7.9~8.2.
1707年10月28日,宝永地震M8.6へと,我が国最大級の地震へとつながった.1677年以前のM7以上の地震は1662年10月31日の日向・大隅M7 1/2~7 3/4および1611年12月2日の三陸(図5左のE1611)および北海道東岸のM8.1である.


図5. 東日本巨大地震の前震・本震・余震の震源分布. 左の地図はアジア航測社提供の赤色立体地図に震央を記入したもの.2つの四角は国土地理院資料による地殻変動に対応するモデル断層面.東日本を横切る3本の線は,右断面図の地形断面線.右の断面図は半径375kmの同心円状に沈み込む太平洋プレートとモデル断層面を示したもの.震源位置は縦軸が深度.横軸は上断面が日本海溝からの距離,中断面が最上小円(図1)中心からの距離,下断面が太平洋小円(図1)中心からの距離.横軸の太黒線範囲が陸域.

今回の東日本巨大地震と対応させると,1677年の二つの地震の震源は本震直後に起こった二つの地震(図5左の11-2・11-3)の位置に近接している.この地震はいずれも本震に想定されるモデル断層の範囲(図5左の2つの細線四角)の外側であり,その後この地域では逆断層型余震(図5左の黄色番号)が起こっている.

太平洋プレート内の応力状態

図6. 前震・本震と3月11日の余震の震源分布図. 横軸は最上小円中心からの距離.

日本海溝に沿って沈み込む太平洋プレート内の応力状態について検討する.今回の東日本巨大地震に先行するM5を超す前震は,群発地震を伴いながら2月16日から発生していた(図5左の橙色番号).この前震は本震域で発生したが,深度34-38kmと深いものは日本海溝から沈み込む太平洋プレート内で起こっている(図6の赤色番号).

発震機構は本震と同じ逆断層型であることから,本震発生前は圧縮応力場にあったことが分かる.この圧縮応力状態は,本震前日の3月10日の前震まで継続している.本震発生前,沈み込む太平洋プレートと沈み込まれる東日本前弧域全体が逆断層型前震を広い深度範囲で起こしていたことは,前弧域と太平洋プレートが固着して同一応力状態にあったことを示している.太平洋プレートは,環太平洋域の沈み込みによって西方へ運動しているので,日本海溝においてプレート沈み込みが停滞すれば圧縮応力が発生する.海洋底を移動してきたプレートは海溝に沿って沈み込む場合に,プレートの厚さを一定に保つために同心円状に屈曲して沈み込む(図2・図6).プレートが同心円状屈曲すれば外側に引張応力,内側に圧縮応力が発生する.従って,同心円の外側に当たる深度が数10kmの範囲は通常引張応力場であり,圧縮応力場で発生する逆断層型地震が起こることは沈み込み状態が異常であったことを意味する.今回の地震は,この逆断層型地震(図6の赤色番号)がプレート境界を越えて沈み込まれる前弧海盆側にも発生し,固着していたプレート境界域を一緒に破壊していた.

本震の39分後に日本海溝沖で起こったM7.5の地震は正断層型(図6の黒番号11-4)に変わり,12・17・18・19日にも正断層型余震が起こっている(図5右中断面図の黒番号).これらは,日本海溝に沿うプレート境界の固着が解除されたことを示している.

本震後,前震および本震発生域でM5以上の余震が全く発生していないことは,プレート境界固着による圧縮応力が本震によって解消されたことを示し,また前震・本震発生域を取り囲んで発生している余震が全て正断層型であること(図5右中断面図の黒番号)も圧縮応力が本震によって解放され,本震によってもたらされた局地的歪みが余震によって解放されていることを表している.

モデル断層の範囲外での地震

余震の発生は,本震をもたらした断層と関係しており,3地域に分けることができる.図5左の上・中・下の3本の側線に沿って,それぞれ断面図を作成し震源位置を示した(図5右断面図).

地殻変動を説明するために算出されたモデル断層範囲(図5左の二つの四角)よりも北側では,逆断層型の余震(図5左の黄色番号)が発生しており,プレート境界の固着が解除されていないことを示している.モデル断層範囲内でもモデル断層(図5右断面図および図6の細黒実線)の下側では逆断層型の余震が多数発生している(図5右上断面図の赤印番号).

本震直後の余震は,本震断層域の北側の田老沖M7.4(11-2)と南側の鹿島灘M7.7(11-3)である.この南北の余震域が1677年の2つのM8級震源域と一致している(図5左).田老沖と鹿島灘の地震の圧縮軸方位と傾斜はそれぞれ111°,35°と110°,16°であり,日本海溝全域において殆ど同じ応力状態にあったことになる.ただし,本震域にのみ前震が集中して起こっていたことは,前弧域のみならず沈み込む太平洋プレートにまでも破壊を及ぼす程の固着力が懸っていたのは本震域のみであったからであろう.

田老沖11-2の余震は,日本海溝西側の同心円状に屈曲した太平洋プレートよりも上で起こっており,前弧海盆下の圧縮応力が解放されていないが,太平洋プレートを破壊させるまで圧縮応力が大きくないことを示している.ただし,3月23日に太平洋プレート内で逆断層型の23-8が起こったことは,注目される.

一方,鹿島灘11-3の余震は正断層型(図5左・図5右下断面図の括弧付き黒番号)の他に逆断層型(図5左の括弧付き黄色番号;図5右下断面図の括弧付き赤番号)と中間型(図5右下断面図の括弧付き緑色番号)がある.その多くは同心円状に屈曲して沈み込む太平洋プレート上の沈み込まれる部分で起こっているが,3月19日以後は屈曲する太平洋プレート内の下半分でも起こり始めている(図5右下断面図).しかも19(1)・19(3)・21(3)・22(3)・22(10)・23(1)が逆断層型であることは,太平洋プレート上面が固着し,その抗力が太平洋プレートの深部にまで及んでいることを示しており,この固着が解除されれば1677年の地震同様の地震・津波災害をもたらすことが予想される.更に4月14日15時8分には,日本海溝の東側の深度10kmでM5.8の逆断層型の地震が起こった(図5左・図5右下断面図の赤番号).圧縮軸方位は117°で傾斜が35°であり,11-3とほぼ同じである.この事実は,東日本巨大地震の際に圧縮応力を解放しきれず3月19日以後次第に増大し,太平洋プレート内にまで及んでいることを示しており,今後厳重な警戒が必要である.同時に日光地震,関東地震,東海・東南海地震への備えを整える必要がある.

引用文献

宇佐美龍夫(2003) 最新版日本被害地震総覧.東京大学出版会,東京,605p.