速報7)東日本テクトニクス過程としての東日本巨大地震

(地球惑星科学連合大会発表予定)

東日本の大地形とテクトニクス

 東日本は,脊梁山脈,北上・阿武隈低地そして北上・阿武隈山地,弘前から会津盆地に連なる山間盆地,出羽丘陵,海岸平野と日本海溝に並行する大地形からなる.海岸線から日本海溝の間には上部および下部深海平坦面が広く発達する.

Fig1. JapanTrSmallCircle

図1. 日本海溝の逆S字型の屈曲に適合する太平洋の小円と最上の小円.小円の半径がいずれも400kmと等しい.この半径は太平洋プレートを屈曲させるための最小曲率半径と関係しているであろう(Niitsuma, 2004;新妻, 2007;新妻, 2010).日本海溝は,ほぼ直線状の北部,最上(もがみ)の小円に沿う中部,太平洋の小円に沿う南部から成る.

 地表地質調査および深海掘削は,脊梁山地と出羽丘陵が褶曲隆起した複背斜構造,山間盆地が褶曲沈降した複向斜構造により形成され,深海平坦面が東縁隆起帯によって堰き止められた前弧海盆の表面であることを明らかにした.新第三紀以降,この東日本テクトニクスは進行してきたのである.プレートテクトニクスの登場により,日本海溝は太平洋プレートが沈み込む所であり,東日本のテクトニクスが太平洋プレートの沈み込みによって駆動されていると考えられるようになった.東日本に太平洋プレートが沈み込んで発生した今回の東日本巨大地震M9.0は,東日本テクトニクスの過程と言える.

 変形せず剛体として地球表面を移動するプレートがどのようにして下方に屈曲して沈み込むかは,プレートの性質を知るための鍵である.日本海溝の形態は逆S字型をしており,千島海溝との会合部からほぼ直線的な北部,最上川河口沖を中心とする小円に沿う中部,伊豆海溝との会合部を含めた太平洋に中心を持つ小円に沿う南部に区分される(図1の小円,速報2).最上の小円と太平洋の小円は共に約400kmの半径を持ち,太平洋プレートの最小曲率半径との関係が示唆されている(Niitsuma, 1996).地震波トモグラフィー(Zhao, 2009)によって,厚さ100kmの低温で高速な太平洋プレートが半径375kmの同心円状に屈曲して沈み込む様子が明らかにされており(図2),両者はほぼ同じ最小曲率半径で沈み込んでいることが分かった.

余震の三層構造と断層型

図6. 前震・本震と3月11日の余震の震源分布図. 横軸は最上小円中心からの距離.

 国土地理院は,GPS測定によって観測された東日本の地殻変動に基いて南北二つの断層面を算出した.この断層面は日本海溝全域に及んでいる(図1の2つの四角).一方,気象庁から公表される震源と発震機構によって,東日本深部の応力状態を知ることができる.本震域では2月16日から3月9日のM7.3を含む多数の前震の後,3月11日に本震が発生し,40分以内にM7.4からM7.7の余震が発生した.前震は沈み込む太平洋プレート内から前弧海盆の地殻内まで広い深度範囲で起こり,発震機構はいずれも東西の太平洋プレート運動方向に圧縮軸をもつ逆断層型であった(図6).この事実から太平洋プレート上面は,前弧海盆域と固着して同じ圧縮応力状態にあったことが分かる.前震の震央は1896年明治三陸地震津波,869年貞観三陸地震津波,1677年延宝三陸地震津波と同じく日本海溝軸沿いにあった.この前震によっても圧縮応力状態に変化は認められず,応力解放には到っていなかった.前震の時点で,巨大津波についての警報を怠ったことが悔やまれてならない.

 本震と同日の余震は算出断層面の北側と南端で本震と同じ発震機構で起こっており,日本海溝に沿う前弧域全域は同じ応力状態にあった.同日の日本海溝外側の太平洋プレート内で起こったM7.5の余震は正断層型であり,本震によって太平洋プレート内の応力状態が圧縮から引張に変化したことを示している.

 翌3月12日以後の余震は,同心屈曲する太平洋プレート上面および算出断層面によって区切られる3層構造を持つ.太平洋プレート内と算出断層上盤では正断層型余震が起こり,断層下盤では依然として太平洋プレート運動方向の逆断層型余震が起こっている(図5,速報6).この3層構造が明瞭なのは日本海溝の中部であり,算出断層の及ばない北部では沈み込まれる前弧側と太平洋プレート浅部に逆断層型余震が起こっている.南部では算出断層上盤の余震が少なく,下盤の逆断層型余震が多い.太平洋プレート内にも広く逆断層型余震が起こっており,太平洋プレートと前弧域との固着が本震によって解消されずに残っていると考えられる.この地域では,1677年4月延宝三陸地震津波M8.0の後に起こった11月の関東沖地震津波M8.0の再来が心配される.

プレート運動の関門と余震の型

 太平洋プレートは,上面と下面の曳引抵抗を受けながら海嶺押しとスラブ引きの応力で定常的に移動しているが,沈み込みの際に太平洋プレートは2ヵ所の関門を通過する.ここでは,上下面の曳引抵抗以外にプレート運動を制止する応力を受ける場を関門と呼ぶ.最初の関門は,海洋底として地球表面を移動してきてプレートが海溝に到達し,同心円屈曲して沈み込みを開始する場である.本震はこの第一関門で発生した.次の関門は,沈み込んだプレートが平面に戻って地球深部に沈み込むために,沈み込みにくくなる場である.余震3層構造の断層下盤の逆断層型余震は,この位置で多数発生しており,震央は断層西縁の海岸線に沿って分布している.4月7日に宮城県沖で発生したM7.1の余震はこの第二の関門で起きたものである.この地震は,1896年明治三陸地震津波の後の仙台沖地震M7.4と対応している.

 内陸地震の発震機構にもプレート運動の関門が関与している.第二関門となっている東日本下のマントルが地殻に与えた圧縮応力によって,中越でのM6.7とM5.9(3月12日)および秋田でM5.0(4月1日)の逆断層型地震が発生した.これは明治三陸地震津波の後に起こった陸羽地震M7.2に対応し,脊梁山地の隆起と山間盆地の沈降をもたらす.
第二関門頂部に形成される引張応力域では正断層が発生する.磐城では3月19日以来最大M7.1(4月11日)の正断層型地震があった.これは明治三陸地震津波の後に起こった1900年宮城県北部地震M7.0に対応し,磐城平野や北上・阿武隈低地帯を形成する.

 M9.0の前震および本震は太平洋プレートが同心円屈曲を開始する第一関門で起き,12日以降の海域および陸域の余震は,プレートと第二関門におけるマントルおよび地殻との相互作用の反映であるといえる.