速報26)2012年6月の地震予報,三つ目の宮城県沖地震に警戒を

2012年に発生した地震個数は5月末で193個に達した.1994年以後最大であった2011年の1033個に次いで多かった2010年の165個を半年で抜き去り,活発な地震活動が続いている.本ホームページで2011年から開始した「地震予報」では,手動作図によって作成した毎月の震源震央分布図を掲載してきた.今回からこれを計算機作図に変え「震源震央分布」を「東日本」と「日本全域」について年別および月別に閲覧できるようにし,「解説」を加えた.

図55.2012年5月の三陸沖地震.

図55.2012年5月の三陸沖地震.2012年5月19日から5月24日の日本海溝域の地震活動図.左の震央図の扇形の線は,右の襟裳小円・最上小円・鹿島小円の断面図に対応する区域.

図56.2011年2月の東日本巨大地震前震.

図56.2011年2月の東日本巨大地震前震.2011年2月16日から2月26日の日本海溝域の地震活動図.

2012年5月の地震活動で注目されたのは,5月19日から22日にかけて襟裳小円域の海溝軸から約40km西の三陸沖太平洋スラブ内で集中的に起こった10個の地震である(図55).この地震は,M4.5からM6.0の逆断層p型地震(震源震央分布「解説」図2)であった.この地震の起こり方は東日本巨大地震(M9.0)の前,2011年2月16日と26日に起こったM4.8からM5.5の前震(図56)に類似しており,逆断層p型の地震が狭い範囲に集中して起きているという特徴がある.そのため,一時は大地震の前震かと懸念されたが,5月24日に正断層t型地震M4.5が起こり,大地震を起こす逆断層型応力状態が解消されたと考えられる.
今回の地震が起こった地域は,太平洋スラブが「く」の字型の襟裳小円に沿って沈み込み,スラブが過剰になる地域にあたる.このことから,スラブ過剰が沈み込み障害となって起きた地震活動と解釈できる(速報13図17).

今回の三陸沖地震は,襟裳小円域と最上小円域との境界と,北緯40°の緯線との間で起こった(図55)が,この震源域の太平洋スラブ内で,1994年から東日本巨大地震までに起こった地震は,2000年7月31日M5.3,2005年7月2日M5.5,2006年8月20日M5.0および2010年8月11日M4.7の四つのみである(図57).その中で最大の2005年7月2日M5.5の地震が起こった45日後の8月16日には,宮城県沖地震M7.2が起こっている.さらに同地域では,1896年明治三陸津波地震の1年10ヶ月後の1898年4月23日に,三つ目の余震である宮城県沖地震M7.2も起こっている.従って,懸念されてきた東日本巨大地震の三つめの余震・宮城県沖地震再来(速報5)の条件が整ってきていると考えられ,今月から来月にかけて警戒が必要である.

図57.1994から東日本巨大地震前までの太平洋スラブ内地震活動図.

図57.1994から東日本巨大地震前までの太平洋スラブ内地震活動図.襟裳小円域と最上小円域境界線と北緯40°線の間の2012年5月の三陸沖地震の震源域では,2000年7月31日・2005年7月2日・2006年8月20日・2010年8月11日の4個の地震が起こっている.

図58.2005年宮城県沖地震および三陸沖地震.

図58.2005年宮城県沖地震および三陸沖地震.2005年7月2日から11日15日の日本海溝域の地震活動図.7月2日と7月6日の地震が2012年5月の三陸沖地震域で起こっており,8月16日のM7.2が宮城県沖地震.

2005年7月2日の三陸沖地震M5.5後の地震活動を詳しく見てみると(図58),この4日後の7月6日にも近接したスラブ上面に沿いM5.2が起こっている.そして45日後の8月16日に宮城県沖地震M7.2が起った.8月31日には海溝軸に近いスラブ上面で逆断層p型地震M6.3が起こった後,11月15日には正断層t型の海溝外地震が起った.これらの地震は太平洋スラブ沈み込み障害が除かれ,太平洋スラブ引きが優勢になったことを示している.翌11月16日にマリアナ海溝域で起こった逆断層p型の海溝外地震は,この太平洋スラブ引きが太平洋プレートに広く及んだ影響であろう(速報18図31).
2012年5月の三陸沖地震の起こる前の5月6日と5月16日にも宮城県沖地震の震源域でM5.2とM4.8の逆断層p型地震が起こっている(震源震央分布図「東日本(2012年5月)」).
今回の三陸沖地震と宮城県沖地震が関連していることを示唆している.