速報4)この地震は予知できなかったのだろうか? 地震発震機構から考える
2011年3月29日 発行
東日本大震災が日本の歴史上最大の震災となった要因の一つに,東京大学地震研究所の報道があげられる.3月9日の津波を伴ったM7.3の地震を,宮城県沖地震とは関係ない別の地震であると解説していたのだ.
3月11日の東日本巨大地震M9.0が発生してからは,3月9日の地震は前震であったとの解釈が報道されている.地震の専門家からはこのような結果論がコメントされているが,その根拠は未だ示されていない.3月9日の時点で注意を呼び掛ける報道がなされていれば,このように甚大な人的被害を少しでも防ぐことができたであろう.
過去最大の地震の予知が出来なかった現実を認め,今後起こると予想される関東,東海や東南海地震の被害を最小限に抑えるためにも,今回の地震の徹底的解明が図られなければならない. M9.0の予知さえ出来なかったら,将来にわたって地震の予知ができるはずはないであろう.
3月11日前後に発生した地震
同地域では3月9日11時45分のM7.3の地震に続き,M5.2・M5.3・M4.8・M4.7の地震が同日中に起こっており,翌10日にもM6.4・M6.3・M6.8・M5.2・M5.9・M5.4・M5.2の地震が20時21分まで立て続けに起きた.その18時間25分後に三陸沖でM9.0の本震が起き,本震後39分の間に岩手県沖M7.4・茨城県沖M7.7・三陸沖M7.5の地震が起こっている.そして本震後9時間27分後から茨城県沖M6.6・関東東方沖M6.1の地震や長野県北部M6.7・M5.9の地震,そして秋田県沖M6.4地震が本震周辺地域で起こっている.本震域の三陸沖では本震後14時間25分後にM6.4の余震が起こった.
3月9日のM7.3の地震の後,この地震は宮城県沖地震とは無関係という報道を聞いたが,それはあり得ないと感じた.東北日本脊梁山地がきれいに日本海溝に並行していることは,日本海溝から沈み込む太平洋プレートによって東北日本の大地形が形成されたことを示している.地震学者が説明するような小規模な範囲の滑りによってこの様な大地形が形成されるとは考えられない.大地形を形成する過程を地質学ではテクトニクスと呼んでいる.東北日本は東西圧縮によって波板のように褶曲し,上がっている背斜部が山地となり,下がっている向斜部が埋積されて平野になっている.脊梁山地は多くの背斜が集まって,巨大な複背斜部となり南北に続いている.東北日本の褶曲と断層については,北村(1986)が詳細な地質調査に基づき,褶曲構造によって変形の限界を越えると断層による変移が起こることを指摘している.今回の地震は,このようなテクトニクスの一過程である.
地震の発震機構(発震メカニズム)
気象庁のホームページで公表している「気象統計情報>地震・津波>発震機構>CMT解>地震別詳報」によって,今回の地震の発震機構について検討した.この地震別詳細は3月28日時点で3月15日の地震まで公表されているので,地震発生後約2週間で公表されるようである.
3月9日M7.3から3月11日M9.0の本震,そして11日夕方までに起こった地震は太平洋プレートの沈み込み方向である西方に緩く傾斜した断層面解が算出されている.この断層面に沿う逆断層運動によって地震が発生したことは津波や地殻変動が支持している.この発震機構が本震発生後夕方まで変化していないことは,これらの地震が同じ応力状態で次第に進行した破壊過程であることを示している.
気象庁発表 2011年3月9日11:45発生の三陸地震M7.3(赤丸)周辺のCMT解.
赤丸以外は過去の地震のCMT解 右の線は日本海溝
9日の地震から11日の本震にいたる地震の発生領域を見てみよう.
(気象庁 2011年3月のCMT解のページ 参照) 9日M7.3と11日M9.0の地震は,過去10年間,牡鹿半島沖で円周状に繰り返し発生してきた海域で起きた. 9日の地震は円周の北側で,11日の本震は円周の南側で発生している.10日のM6.4とM6.8の地震は,この円周に取り囲まれた地震空白域の中心域で発生している.これらの地震の発震機構は太平洋プレート運動方向であることから,太平洋プレートの沈み込みによる東西方向の圧縮応力が日本海溝陸側に働き,破壊強度限界を越えると破壊して断層となり,地震を発生させたことを示している.発震機構が変わらないことは,その断層運動によっても応力が解放しきれず,その周辺域に断層が進展していることを表している.
前述したように,最初のM7.3の地震はこれまで繰り返し地震が発生した領域で起こっている.既に破損した領域は破損し易いからであろう.10日にはこれまで地震の発生していない円周中心部に進展した.これらの地震は南北の破損し易い領域を接合する役割を果たし,11日の本震M9.0の発生につながったのであろう.本震発生後29分の間に起こった岩手県沖M7.4・茨城県沖M7.7の地震は本震よりも日本海溝から離れた陸寄りで起こっている.これらは同じ発震機構であることから,陸寄りでは太平洋プレートによる応力が本震で解放され切れずに,同じ応力状態で破壊が起こったと考えられる.本震の39分後には日本海溝東方で東西に引っ張られる正断層型の地震が起こっており,太平洋プレートは日本海溝に沿って沈み込んだために引っ張られたことを示している.
本震発生後9時間27分以降の本震周辺地域で起こった地震は,本震によって変移した東北日本と変移していない周辺地域との間で歪みを解消するものであったことは,本震と異なる発震機構が観測されたことからも明らかである.14時間25分後に本震域で起こった三陸沖M6.4は正断層型であり,本震による変移によってもたらされた歪みを解消する余震である.
この本震前から本震後の経過を辿ると,3月9日M7.3の地震を起こした応力状態は3月11日の本震発生後39分まで解消されていなかったと言える.この応力状態で南北の境界部が破損し,全域に及ぶ大規模断層運動に進展したのであろう.このような大規模断層運動の進展によって,日本海溝および深海平坦面や東北日本脊梁の大地形が形成されるテクトニクスが進行しているのである.
前震・本震・余震と予知について
11日の本震の後,広い範囲で余震が続いている.この余震とは,本震によって起こされた断層周辺の移動に伴って新たな歪が生じ,それが破壊限界を超えて起こるものである.今回のように広範囲に大きな変位を伴う断層運動では,変位した周辺域でその変位に伴う歪を解消する地震が発生するが,これも広義の余震と呼べるであろう.
3月9日のM7.3の地震の後, 9日と10日に連続して起こった地震の発震機構はM7.3の地震と同じであり,歪を解消するための余震の発震機構とは明らかに異なっている.9日と10日の地震は11日のM.9.0の本震に向けた前震であり,より大規模な断層の破壊が進行していたことになる.本震後39分以降の地震は,それ以前とは異なる発震機構をもった余震であるといえる.地震の発震機構をリアルタイムに解析することによって,余震として終息する地震なのか大きな地震の前震なのかを判別できれば,今回のような災害を軽減できるであろう.
今回,気象庁から公開されているCMT解を検討してみた結果,太平洋プレート運動による応力の解放過程を知る糸口を見出すことができた.科学の知見を活かせず未曾有の被害を産み出してしまった今,今回の地震を多方面から精緻に検討し,来るべき関東,東海,東南海,南海の大地震予知に結びつける大きな責任と義務が地球科学界全体に課せられている.